旅のまにまの 似非コラム
町へ出る。目指す一帯が駅付近でない場合は、 徒歩なり交通機関で手早く移動。 基本は、自分たちの足で歩いて探す。 地道に根気よくドアを叩くの繰り返し。
欧州では、駅(ターミナル)の周辺、おもに裏通りに 安宿街が密集していること多いようだ
後、大きな町では、 それ以外にも幾つか安宿街といえる一帯があることが多い
大都市の場合、観光客も多い。 同じようなこと考えている人間も当然多い。 同じ一帯を探し歩く密度も高い。 当然、安くていい宿から満員になってゆく。 所謂観光シーズンはそれが顕著。 入る時間は早ければ早い程いい、かなり実際厳しい。
大学がある町 所謂、文教地区?には、えてして至近に安宿街がある。 たいてい閑静かつ治安もよい環境が多かった気がして狙い目だった。
どうしようもない場合、 教会や非営利?団体が運営する宿にお世話になる。 何度、神様?に助けられたことか。 安心、清潔、安い…という慈悲深い所多し。
余裕あれば、数件まわって比較検討する (気力体力充実してる時向きではあるが)。 結局保留にして一旦断った宿が 一番よい(もしくは、マシ)となればまた戻ればよい。
オーナーは再訪をネガティブに捉えることはなく、 たいがい歓迎してくれる。 ただ、戻る前にコンプレ(満員)になってしまってる危険性もなくはない。 そこらは運と割り切る。
大概 こうして歩いて探しまわることで、 結果的に新しい国・町になじみ慣れてること多い
正直、嫌な思い辛い思いすることもある。 ストレスたまって疲れ果てることもある。 数時間歩き回っても、予算許せる範囲の宿はコンプレの嵐 ―泣きたくなることも実際ある。
でも。何があってもへこたれないこと。 ネガティブな気持ちになりかけたらすぐ払い落とすこと。 弱気の虫に負けず、元気なくさなければ、きっとうまいことゆくと信じる。
そのためにも、出来るだけ朝早く入りたいということです。 暗くなると不安になり何かと妥協しがち。
歩いて探す以外に、 ツーリストインフォメーション ( i ) で予約してもらう方法もあり。
自分たちで探す手間、時間が不要でこれはこれで有難い。 その時間を有意義に使える。 ただ、ラクできるかわりといってはなんだが。手数料必要な場合が多い。
私たちは、手数料分の出費ですら懐を直撃されるレベルの旅だったこともあり 基本的には、歩いて探すのを初期設定としていた。
ですが。自力で探すか、i を通すかはケースバイケースだと思う。 臨機応変、それ以上でも以下でもない。 何がなんでも歩いて探さねばならん、というものでもないと思ってます。 時には、数時間歩いて探してももうどうにもこうにもならず、 その末訪れたこともあった。 するとあっけないくらい希望通りのものが見つかってしまい、 身体中の力が抜けたもの。 ルツェルンのケースだが、 表に何の看板も出してない個人宅なので確かに見つけようなかった…。
しかし。とはいっても。ローマは論外にしても?!。 ロンドン、パリあたりは歩いて探すほうが早くてラクなのではないかと思う。
そして、宿探しの回数を重ねるうちに、 実際何かカンのようなものが出来てくる、不思議と。 町に入った時点で、 ここはどっちの方法がより無駄なくいい結果が得られるか、という。 本当です。
ただ、旅も後半戦に入ってくると。 さすがに疲労も激しくなってくるし、 かつ面倒くさくもなってきたのが正直なところだった。 そのため、まず i 直行というパターンが増えました。
観光地の観光地たる町だったりする場合、 駅に客引きが多少に関わらずいたりもする。 ちなみに、ローテンブルグ、ヴェネチア、ウィーン、ブダペスト等で遭遇。
列車からドッと下りてくる旅人をなんとか、ひっぱっていこうというわけです。 客ひき、といっても、本当千差万別。 中には、マイナスイメージそのものの強引でうっとおしいタイプもたくさんいる。 しかし、本当に良い宿の客引き(オーナー自身も含む)も その中に混じっているのだ、これまた。 それをうまく見極められたら? 思いがけず楽して快適な宿で過ごすことも可能だったり。
何処の町でもいるわけでもないし、 また実際うさんくさくヤバイ匂いするケースも多少あったので 私たちにとっては、殆ど無縁の宿決定方法だった。 おまけ、みたいなものです。
客引きにひっかかるのではなく、 ひっかかるふりをする、なんて技?使うのも大事です。 ひっかけるように相手をしむけるんですね、要は。 勿論、信頼して良さそうな人のみ。 相手はひっかけたつもり(悪い意味ではない)になってるんですけどね。 “どうしようかなぁ…” てなノリの裏で、 実は頭のコンピュータは冷静にフル回転してたりする。
勿論。各都市には、 安宿以外存在しないわけではありません(つうか、当然だ)。 町の一等地には、いわゆる一流ホテル等などがたくさんあります。 ただ。如何せん、 私たちの中では意識にすら浮ばない、別世界だったというだけです。