901001
Berlin に向かう夜行列車は 21:00 dep. まあ、ここはスイス。そんなにディレイすることもあるまい。 その時間まで、チューリヒの町を訪ね歩きたい__のだが、 この雨だけは如何ともしがたい。
少し路地を歩くときつくなる雨足にウンザリして雨宿りの場所を探す、 そして小雨になるのを待つ。 このえんえんの繰り返し。しつこいようだけど傘は持ち歩いてない。 石畳を叩きつける雨で少し視界には霞がかかる。 そのせいか まださほど暗くもないが灯りがはいりだす。 ロマンティックでもあり、うらさびしくもあり、単にウンザリもする。 仕方ない。駅へ戻ろう。そこで時間を潰すしかない。
空耳___?
いや、違う。
かすかではあるが確かに流れてくる調べがある。弦楽器の優しい音だ。 何なのだろう。 通りの少し前方、一軒の店先にかるい人だかりが出来ている。
音の輪郭がはっきりしてくる。 角のブティックの二階に人がいる。 そこでは、三人の娘たちが室内楽を奏でていた。 かなり大きくくられた四角い窓よりその姿が見てとれる。まるで額縁のようだ。 娘たちは皆美しく、なにやらおめかししている。 中でも、長身の黒い肌の frau が一番キマッテる。 彼女の纏う鮮やかなピンクがまことに華やかだ。
額縁(?)を彩るように、外壁には手描きのポスターが貼り付けられている。 それは、今ここで催されている プロムナード・コンサート ? の告知だったのかもしれぬし、 もしくはその貼り紙とこのミニ・コンサート共々、 来るべき本番へ向けてのデモンストレーションだったのかもしれぬ。 私には知る術もない__。
だって、独逸語わっからないんっだも〜ん。
ヴァイオリンの、ハープの、そしてセロの奏でる旋律に暫し足をとめてゆこう。 雨に我が身を晒しながら苦笑いする。 まるで一昔前の少女まんがのようだ__とか、 何処で観たかすら忘れてしまった映画のワン・シーンのようだ__とか懐って。 まあ、雨に濡れ続けねばならぬなら、 せめてこれぐらいのものは観せてもらわねぇとワリがあわねぇもんナ __と憎まれ口の一つも叩く。 雨も効果的なパーカッションになるのであろう、考えようによれば。
__しかし。
だからといって何時までも降ンじゃねぇよ、止めよ、そろそろ… とか思いながら歩いていると。 今度はアコーディオンの音がする。
が、やけにもの哀しい響きだ。雨はその旋律を一層湿らせてしまうようだ。 しかし、何でまた、こんな処で。 なおも歩くうちにその姿を現したのは、ヨコモリ・リョウゾウ氏、__な理由なく、 石畳のうえ、独り濡れる雨も厭わず腰かけたままの少年だった。 その (小さすぎる) 両の腕には大きなアコーディオンが抱えられている。 まだ小学生くらいだろう。 雨の中、急ぐ人々は誰も彼のギャラリーにはなりえない。
彼にとってはこれもいつもの光景で、 たまたま今日は雨に降られただけ、かもしれない。 それに、これと同じケースは過去に幾度も、 それこそ吐いて捨てる程あったのかもしれない。 そんな言葉を自分に言い聞かす。 たまさか通りがかりにこの場面だけを切り取って悪戯に感傷に浸るなんて、 “オメデタイ”ツーリストそのままじゃねぇーかょ、 とそんな自分に気色ばんで毒づいてみたところで そんな自分もまた賤しく思えてくるだけだ。
でも、それでも。 本当は同じくらい見てて辛いのだ。 出来ることなら、この場から全力ダッシュしたいくらいなのだ。 少年はラテン系のようだ。 その事が余計に一昔前のイタリア映画のワン・シーンを彷彿とさせてしまう。 彼の前まで行くことも全力ダッシュでこの場を走り去ることも出来ない私は、 せめて 彼が風邪をひいたりせぬことを祈るしかない (はっきりいって、一番タチが悪い)。
暫くのあいだ、雨にかきけされるようになりながらも その旋律は背中を追いかけてくるように続いていた。
だけれど、やがて何処らへんかでそれも消えてしまった。