900915
サンタジュスタ・エレヴェーターなる私的には正体不明の高い建物がロッシオ広場近くにある。 散歩中に偶然見つけて入ってみる、というか歩いていった先がその高台の部分につながっていた。 さすがに眺望は素晴らしい。
ロッシオ駅につく。この駅には気取らない感じのちょっとしたショッピング街がある。 David Bowieのポスターがまさにべたべたと貼ってある。 悔しがる?と同時に、こんなひなびた街の何処でコンサートをやるのだろう、 いったい何処にホールなんかがあるのだろうか?という疑問にかられる。謎だ。
その後バイシャ地区へ足を伸ばす、といってもすぐ近所。 ここは碁盤の目のように整備された旧市街とのことだ。 そこを通り抜けテージョ河沿いの道をのんびり歩き再び駅のexchangeへ向かう。 相変わらず荷物なければ当然のように歩いてゆくことしか考えてないらしい…。 さすがにこの時間ともなると駅構内もまばらな人だ。 朝もこの場で見かけた日本人バックパッカーを再び見かける。 この町では今まで当たり前のように見かけてきた日本人を殆ど見ていなかった。 さすがにここまで足を伸ばす人はそう多くないのかもしれない。 もちろんゼロでなくそれなりにいるのだろうが絶対数が多くないので、 同時期同場所に滞在する可能性はかなり低くなるのだろうと思われた。 そんな状況なので又同じ人物を見かけて驚いたのだった。
ヨーロッパ周遊旅行中であるそのバックパッカー君は
我々が今後向かう予定の国々をすでに幾つか消化していた。
スペインの物価が安いなんてとんでもない! 日本並みとみた方がよい、
スイス・ドイツは尚高い、安いと思いがちなイタリアは結構高い―と言われた。
がーん。目の前真っ暗。スイス・ドイツは覚悟してたから仕方ないにしても…。
“これこれぐらいに予算でこれぐらいの期間をまわろうと思っているのだが…”
と予算のトータルを伝えてみた。果たして返ってきた見解はこうだった。
“う〜ん、正直言ってその額じゃ予定期間のクリアは難しいかも”
又ポルトガルもかなりのインフレらしく楽観したらダメだよ、らしい。
「よくそんな予算で2ヶ月まわろうなんて大胆な事考えられますね」
呆れてんだか感心してんだか不明な感想を漏らされてしまった。
そ、そんな無謀なチャレンジャーなのか我々は。
さて、肝心の両替の話。 レシート上は2,331escの実際の支払いはやはりというか2,330escになっていた。 この国には1escという単位は実体としては存在しないのか…謎は深まるばかりだ。
話を聞くと、トラブルにも結構遭遇しているらしい。 夜行のコンパートメントで盗難にあったのはさすがに驚いた、という話だった。 寝袋で身体を包んでいる安心感から 腰のウエストポーチにしのばせている貴重品に対して心配していなかったところ、 見事にその油断をつかれてしまったそうだ。 さすがにそこまでやるとは、つまり寝ているすきにシュラフのジッパー下ろし、 直接身につけているウエストポーチを狙うような大胆なことをするとは 予想外だったという話。 その災難に言葉を無くしながら、そんな事が起こりうるのかとこちらも驚く。 一般論として女子より男子の方がリスクが少なそうなのにね…という、 あまり慰めにならないような我々の慰めに、 だからこそ?案外その油断を突かれるケースが多いみたいだ、と云う話に。 女子は単独行の場合1人でコンパートメントに寝るような真似は リスクが大きいので最初から避ける事が多い、 なので案外大丈夫なのだろうという話。 言われてみれば確かに頷ける。 女子ならその場合同性がいるコンパートメントでの相席を考えるだろう。 内容は聞いたことあるような話であったとしても、 実際の体験者から聞くのはやはりリアリティの重みが違うと痛感する。
ただ、ヨーロッパに流入してきていたインディオ達に対して かなり辛辣な物言いをするのが気になった。 具体的には何も語ってくれなかったのでその理由は何も解らないのだが、 何か辛い体験でもあったのだろうか…そうでもないとああも存在自体切り捨てた言い方はできない。 彼らに対してなんの嫌悪感も無い我々からすると思わず退いてしまう程で、 それはさすがに言い過ぎじゃないか、と反応したのだが、それでも頑ななままだった。 “ジプシーがいろいろ言われるが、奴等に比べたら全然どうってことない”と言い捨てた。 (注;今はロマという呼称が一般的になりつつあります。反面ひどく専門化細分化されてもいて 正直勉強不足の身ではどうしたらいいかわかりません。 ただ、彼ら自身が望んでいるかたちを無視するべきではないと思ってはいます。 ここでは当時の一般的呼称状況や会話上で使われているという事を考えて、そのままにしています。 但し、その後呼称問題については上のように変化の過程にあるとは明記しておきます。 当時件の彼もこちらも基本的に蔑称として使っていたとは思いませんが、 それを決める最終決定者は呼ぶ側ではなく呼ばれる側でしょう。 実際その後道中で自分自身彼らとやりあう体験をして怒りうんざりしたのは事実です、 ある意味敵として?あっぱれと清々しい気分にもなりましたが(笑)。 でもそれはまた別の話です。例えば、彼の地で日本人を見たら日本人と呼ぶしかないですから)。 リスボンの街角でインディオのストリート・ミュージシャンを見かけた時のことだ。 初めて眼にしたこともあり、新鮮な驚きとともに 好意的な眼でその演奏を楽しんでいたところだったので、 その過敏ともいえる極端な反応に驚いたのだった。
食事の前に、今しばらくの散策とする。が、そのうち又例によって道に迷う。 半ばデフォルトな展開なのでもう慣れっこにってるのが怖い。 適当に歩いてりゃそのうち何とかなるだろう状態。 が、予想に反してくだんのバックパッカー君が、迷ったことで少々パニくってる模様。 不安でたまらないらしく腰がひけている。ちょっと意外で驚く。 そんな様子も意に介さずずんずんと迷路のような狭く細い路地を進んでゆく二人。
ずっと続く坂を上りきった後、今度は下る形になる。 どうやらアルファマ旧市街と呼ばれる丘の上の一画らしい。 坂を挟むように小さな石造りの家屋がひしめくように並んでいる。 俗に、情緒あふれる町並み、と人々はここを呼ぶのだろうと思った。 けれど言いかえると、それは経済的な裕福さを意味しない。 すれ違った幾人かの住人の目は険しく思えるものがあった。 彼らにとっての“現実”を非日常の情緒として浸り、 よりみもふたもない言い方するなら消費してゆくpassengerに対してならば、 解る気もした(実際は何も解ってなどいないのだが)。 年寄りと幼いこども達が多い。 我々以外旅人と思える姿はなく、良くも悪くも誰かのリアルな“生活”そのものに(結局) 侵入してしまった異物のようなよりどころの無さを感じ複雑な心境になった。 自分がこの辺りの佇まいや空気に惹かれていたのも事実だったので、 そのジレンマはよりわが身に対しての鋭利なナイフになる。
そのうちなんとか広場のほうへ下りる道を見つけ、いったん宿へ戻る。 一休みした後、改めてロッシオ広場方面へ出かけることにする。 ガイドブックで目をつけていた店は閉まっていた。残念だが仕方ない。 結局辺りに手ごろな店は見つからず、広場を少し路地に入ったオープンカフェへ入る。 それも、店前の道前面にテーブルをたくさん並べ道路ごとカフェ状態。 今にして思えば。つくづく車のいない界隈でのみ動いてたのだな、自分たちは。
"Delta Cafe"というところらしい。チェーン店なのかもしれない。 オーダー取りにきたウェイターがかなりの男前。マジで“おゎっ”と感動してしまった。 たまにはこういう楽しみがないと旅なんかやってられません(半分ウソです)。 バックパッカー君によれば、似ているようでスペイン人、ポルトガル人は 風貌・気質ともにまったく違うそうだ(私は殆ど差は無いのではとイメージしていた)。 ポルトガル人は寡黙で思慮深い人たちらしい、気質としてはおとなしいそうだ。 そのため(ヨーロッパにおいて)日本人が違和感無くすっとなじみやすい世界だとも。 うーん。日本人がどうというのは置くとして、ただ言いたいことは解る。 日常におけるテンションの平均値が近いのかもしれない、 ゆえに慣れない騒ぎ疲れしなくてすむ、みたいなラクさがあるという。 考えたこともなかったけどそういうものなのだろうか。
そしてウェイター氏のハンサムさに盛り上がる(笑)我々の言を裏づけるよう、 この国は暗め(←何故かこの形容詞が必ずセットという前提らしい)のハンサムが多いそうだ。 確かに何処か影があるというか、愁いある面持ちが魅力なウェイター氏であった。 玉子サンドをぱくつき、かなり濃い目のデミタスコーヒーを喉に流しながらそんな話を聞く。 風が吹いてきた、というよりもはや強い。夕方になると昼間の暑さが嘘のような冷え込みになる。 リスボン入り前後からひき始めたらしい風邪が悪化しそうで不安になる。 8時前、夜行で南仏へ向かうというバックパッカー君とも別れて宿へ帰る。 宿近くはご多分にもれず夜更けになるほど活気づく種類の通りらしい。
petty cashbook | ||
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両替 | +2,230esc | サンタアポローニャ駅構内 BANCO FONSECAS&BURNAY |
US20$(レート:138.785)→2,776esc但し手数料含(45esc@500esc) | ||
レシート上は2,231escだが受取は左記参照 | ||
オムレット(サンドウィッチ) | 200esc | ロッシオ広場付近?のオープンカフェ"Delta Cafe" |
カフェ | 60esc |