901007

あなぼこのある涯ての街の

アムスはかなり治安が悪いと聞いていた。 そのため、わりと緊張してのアムス入りではあった。

中央駅を一歩出ると。

“たしかに”いろんな人が、いる。

が、とくに危なさは感じなかった。 駅舎もきれいで、ブリュッセルのように荒んだ風なようすでもない。 駅の正面玄関前で小汚ねぇ(悪口にあらず!)兄ちゃん、姉ちゃんが 手先を使ったヴォードヴィルまがいのことをしている。 そんな彼らを何人かのギャラリーが囲んでいる。 しかし20年前くらいなら拍手喝采、という感じの芸といったところか。

小汚い兄ちゃん濃度の高い駅前風景。 風評とは逆に、ある種面白さを感じてしまうところがある。 結構、崩れた都市特有の姿が見え隠れしている。 けれども、何か空気が居心地よく思えるのは何故なのだろう。

何処か街に“隙間”があるというのか、もしくは“隙間”だらけといえばいいのか…。 それが、そこで生きる人間に創意工夫することを要求する。 その結果センスが良くなる、という感じかもしれない。 さまざまに種類は違うのだが、センスの良い人が多いと思う。 それも、自分なりの味付けが必ずされている。 それは、汚い兄ちゃんにせよ、品のいいシックにまとめた婦人にしろ同様といえる。

ある意味で。お金をかけてセオリーに忠実な着こなしに徹すれば、 余程のことがない限り、“センス良くオシャレ”になれる (のかもしれない) 。 後はツメをどこまで厳しくできるかという気合の差で (スイスではこれの一分の隙もない実践者が多かった気もする)。 でも、アムスの街から匂いたつものは、上の“技術”の対極に位置しているもののような気がする。

そして。
アムスは、いにしえのアブナイ兄ちゃん達がどこかうろうろしている街だ。 滞在してゆっくりと過ごしたくなる、そんなところだ。 関係ないが朝食がオランダ式といって豪華らしい。必ず卵料理もつくという。

運河に沿って

まずは、友人のリクエストもあって、 『飾り窓』 へ向かう。 水夫達相手の娼婦たちの店が軒をつらねていたのが始まりらしいが。 ヒッピー文化時代の聖地、 『ダム広場』 までは駅正面から一本道だ (この通りが危ないというのだが…いまひとつピンとこないまま)。 その広場 (ホテルの角) を左折して運河に沿って行き当たった一画、 その細い路地一帯がそう呼ばれる処だった。 といっても、昼間でちらほらだが観光客もいて、そうヤバそうでもなかった。

まぁ、品定めしてるオヤジだけしかおらん路地もあるが、通り抜けるのに問題はない。 第一、そんなオヤジには我々ごとき視界に入ってさえいない。 路地はめちゃ狭い。火事になったら困りそうだ。 そんななかに赤っぽい照明 (ありがち) の窓が幾つも並んでいる。 そして、ウィンドウの向こう側には下着姿のオネエチャンがあっけらかんと立っている。 中には“ほ〜ぅっ…”という美女もいないではない。 情緒もへったくれもありゃしない。 あそこまで即物的というか一切無駄を省いた姿になると逆に健康的ですらある。

ところどころカーテンが閉まっている。即ち営業中。 どの店だったか。 カーテンが閉まりきっておらず (敢えてそうしてるのかは知らないが) その間から現場が見え隠れしていて驚いた。まぁ、なんつうか、ダイナミックですね。

これもまたありがちなノリではあるけど、この辺りはかなり臭い。 昔、小奇麗になる前の京都・木屋町通りは早朝同じような臭いがしていた気がする。 通り全体にその臭いがまとわりつくようしみついている。 やたらポルノショップの類が多いのもありがちで面白くもなんともない。 ゲイプロパーの映画館というのも、そりゃあるかもしれないな、という感じしかない。 どこだか、さすがに目眩いしそうな臭さがしていたのには閉口したが。 すえた臭い+気温の上昇は最悪の組合せのひとつであるからね。

彼らの棲む街の法則

しかしながら、
何処の町でもえてして“そういう世界”の近くには、 必ずといっていいほど“ある世界”が隣り合わせになって存在することになっているものだ。 いつも妙に個性的で“先鋭的”な世界が。 どこか世間一般の常識とはズレるかもしれないが、自分達の独自の価値観をもつ、 ユニークでどこかアブナサも併せもった魅力的な人達の集う世界が、そこには共存しているものだ。

“彼ら”が集まる場所の傾向は、不思議とどこの都市でも法則でもあるのか一緒に思える。 アムスとて例外ではないらしい。 __そうして、私たちはここらの路地のひとつにロフトっぽいアトリエを見つけたのだ。

なにげに入ってみると、そこはガランとした中にオブジェが点在するギャラリーになっていた。 Brian Eno 風の知的で優しそうなお兄ちゃんがそこにはいて、彼の個展が開かれているらしい。 しかし、なぜに Eno 風の“あのテ”の人々は 皆してノッポで髪が薄くて悟りを開いたような穏やかな顔をしているのだろうか?

此処は彼のアトリエでもあるらしい。いかにも現代美術風。 が、そのラフなスタジオといった空間がなんだかとても気持ちいい。 なごむ二人。ああ、こういうスペースって好きだな、と思う。 そんな二人の様子を見ていたのだろう。 その男性は我々にニコニコとした表情のまま声をかけてくれた。

彼、イーノ氏(仮)によると__
今日は、ここら一帯で何箇所も同じようなスペースが設けられていて、 いろいろなアーティストの作品展が同時開催されている。 もっといろいろ見たければそっちにも行ってごらん、
__ということだった。

“オープンアトリエ”という名称の一種集団アート・パフォーマンスのようなものらしい。 面白そうだ、と盛り上がる二人に、そのイーノ氏(仮)はギャラリーマップ等をくれた。 そして、二人は名残惜しい気持ちで 東洋趣味的?なそのスタジオを後にすべく主に礼をいってそこを出た。

“ ラッキーだねぇ、こんなことやってるなんて知らなかった。 あのお兄ちゃんに会えてよかったねぇ〜 ”

__というわけで、そんなウキウキした気分のまま幾つかのアトリエ巡りが始まった。

基本的に、皆自分の普段からの製作現場を “アトリエ”としているらしい。

それゆえのラフなんだけど自然体なノリが心地よかった。 日頃、同好の士や一部の理解者のみで 閉鎖的なノリになりがち?な現代美術を、 もっと開かれた 風通しのよいものにしたい意向もあるのだろう (推測)。

そして、開放的な出入り自由という気楽さで 至るところにギャラリーを設けることにより、 普段接する機会の少ない 一般市民にも足を気軽に運んでもらい 両者の垣根が少しでもなくなれば、 という思いもあったのかもしれない (これも推測)。

風通しのよいアート

どこかの会場では、やたらと人を喰ったような 無駄と紙一重のセンスあふるる装置ばかり作ってる人がいた。 あれはよかった。真剣に冗談をやってるみたいで。 が、かたひじはってないから、凄く風通しがよい作品群なのだ。 芸術なんてよく考えたら、 『無駄と紙一重』 だよなぁ…とも思う。

かと思えば。 コラージュっぽい作品にパリの地図のかけらを印象的に用いていた物静かだが鋭い眼光を持った青年。 フランシス・ユステール風。いかにも少しエキセントリックなアーティスト風だ。 彼が撰んだパリの断片がペール・ラシェーズの部分だったことをどうして私が見逃すだろうか。

絶対。偶然に切り抜かれたものなんかじゃない。意図があるのだ。 これは彼の発した暗号だとひとりニヤリとしてしまった (こういうのを勝手な思い込みといいます)。

全体からみると、けっこうたくさんの来場者。 どうやら皆アムス市民風。日本人どころかツーリストでさえ我々だけみたいだ。 また絵を描きたいなぁ、と思わされてしまう、そんなイベントだった。 加えて、妙にアムスにぴったりとはまる空間でもあった。 アトリエの入っている建物の窓からふとのぞく風景がアムスであることが妙にしっくりくるのだ。 上手く言えないが、アムスだからフィットするイベントに思えるのが不思議だった。

偶然とはいえ、たまたま Excursion でアムス入りした日に こんな催しに遭遇できるなんて幸運だったんだろう。 なにより、初めに訪れたのが彼のところで、本当に良かった。 彼のおかげで、他のアトリエの存在も知るに至ったのだからして。

帰路の車中、偶然にしてはできすぎだよねぇ〜と思わず二人で話し込む。 まぁ、グーゼンなんですけどね。

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