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chain reaction

Level 4

俺の知らないオレの記憶は、いつも不意にあらわれる。



“オレ” が “俺” を浸食してくるそのタイミングも正直よくわからない。
“オレ” が まさしく心でそう思った瞬間に “俺” を浸食するのか、
それとも、“俺” がなにかを思い出すタイミングに同調してズレてやってきてるのか、
その真偽の程を確かめる手段なんてなかった。
そんなことできるくらいなら、“オレ” をつきとめることすら可能だろう、だいたい。
“俺” に届くまでジャストなのかタイムラグがあるのか、どっちでもいいことだ。
だいたい俺の頭に浮ぶ順番が “オレ” の時間軸にそってるという確証すらない。

日に何度も聞こえてくる場合もあれば、数日から時には1週間以上あくこともよくあった。
ただ、どちらにしろ、それから逃れようがないことだけが確かなことだった。
最初の頃は、1週間近くも聞こえなくなることは解放されたのだと心底喜んだ。
が、しばらくするとそれは必ず落胆に変った。
2度ほどそれを繰り返す頃にはもう、
しばらく聞こえないということは単にそういうことなだけだ、と悟った。
それはまた聞こえる日がくる、という意味となんら変りはなかった。
むしろ下手に間隔が開くことでしてはいけない期待をしそうになり、
より消耗するだけタチが悪い気すら最近はする。


目がくらむほどの光沢をたたえていた入道雲はいつかさり
窓から見上げるそこは今はもう鰯雲が泳ぐ季節を迎えていた。
夏の間、いつも声は俺のすぐそばにあった。
俺は見知らぬ誰かの行動計画や思い煩い事や喜び憂いを何度確認させられたことだろう。

決して、その得体の知れぬ俺の知らないオレを容認することはなかったが、
いつかあきらめに近いものも気持ちのなかに生まれてきてはいた。
――そう、仕方がないじゃないか。聞こえるんだから。

誰にもこんなこと言えなかった。言えるわけなかった。
だいち、何処からどんな風に説明を始めたら多少は納得してもらえるのかすら理解らない。
もし、俺が聞かされる立場になったら、まずこういうだろう。
“嘘だろ!? そんなの信じられねぇよ”
またこうつけくわえるに決まってる。
“おまえは疲れてるんだよ”
――俺はあのくそ暑かった日以前と何一つ変らぬ顔をして
ユリカを始め周囲の人間と笑っていつものように夏を過ごしていった。



アオキはどうやら元サッカー少年らしく、今でも草サッカーに精出してるらしい。
例の件とは、どうやら次回のヨーロッパ選手権とやらを見に行く計画らしいことも理解った。
俺はワールドカップぐらいしか聞いたことないが、そういうのがするとあるんだろう。
今から計画を練っているらしい。2人ともなかなか計画性のある几帳面なタイプなようだ。
どうやら “オレ” はオランダびいきで、アオキはドイツのサッカーが好きらしい。
ワールドカップではなくこちらに照準を合わす連中でもあるようだ。
こんなことサッカーに興味もなにもない “俺” が知ってどうするんだ、という気分だが仕方ない。

また、 “オレ” もどうやら大学生らしい。この秋もうすぐ海外旅行へ行くみたいだ。
どうやらニューオリンズ辺りに行こうとしている模様だ。
生意気な奴だ。オレはニューオリンズどころか、日本国内でも海を越えて旅したことないのに。
おまけに、ニューオリンズは俺にとっても憧れだ。ますますムカツいてくる。
ヨシムラさんは、やはり旅行代理店の担当者と判明した。
確証はもちろんないが、おそらくそうだ。
かなり親切な人らしく、いろいろ親身に相談に乗ってくれているようだ。
俺も海外行くときは、○○ツーリストのヨシムラさんに相談することに決めた。

カトウは大学の同級生らしい。女かと思ったら、男だった。でもいいやつらしい。
どうやらカトウとアオキは同じ草サッカーチームのメンバーらしい。
彼女らしき子の存在もチラチラ出てきはするんだが、あまり鮮明には伝わってこない。
どうやら上手く行ってないのか?それともまだ片思いなのか?
俺が気をモンでどうする、という感じだ。


つい先日は、ロッシかっこいいよな、という弾むような声がきた。
ヴァレンティーノ・ロッシのことだとすぐにわかった。
何故ならそのとき、俺もこの天才をテレビでまさしく見ていたからだ。
“オレ” もどうやら今同じ状態らしい。さすがにこの時は笑った。
…ここまで、俺たちの時間は記憶は近づいてきているのか。重なってきているのか。
勘弁してくれよ――
俺は壁にもたれて座っていた。
その立てた両膝の上に顔をうつ伏せ、少しだけ、泣いた。

俺は涙を腕で無造作にこすり天井をみあげた。
(俺もそう思うよ。かっこいいよな、ロッシ。でもノリックもいいぞ)
きっと今浮かべた思いは、“オレ” のところへは届かないことは知っている。
無邪気に今頃手に汗握ってテレビを眺めているんだろう。

“オレ” が自らの存在に対して不安になり混乱している様子を見せたことは一度もない。
今後どうなるかはわからないが、今までのところ何も疑うことない日々を送っている。
羨ましい気もするが、今はもうならば、ずっとそのままであってくれと願っている。
そういられるなら、その方がずっといい――。
そのままでいられる人間の方がたぶん多いはずだろうし、“オレ” はそっち側だったのだろう。

じゃあ、と俺は天井をみる。
今日もまた、俺はその日と同じく壁にもたれ両膝をたててぼんやりと座っている。
もしかしたら、俺の記憶は、思いは、何処かの誰かを浸食していってるのだろうか。
いままさに、“ロッシって、何だよ?誰だよ?” と叫び声をあげている者が。


俺は急にぞっとした。ノンキにほのぼのしている場合なんかじゃあない。
どうして今まで、その可能性を考えなかったんだろう。
よく考えたら、俺に起ったことは他の誰かに起りえて当然じゃないか。
これまでチラとでも逆の考えに及ばなかった自分が迂闊だった。
いや、仕方なかったんだ。
そんな余裕なんて気持ちの何処にもなかったんだから。
自らに起ることをうけとめるだけでもう精一杯だったのだから。

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