「珈琲でいいかな?」
「ええ、ありがとう。でもそんなに気を遣わないで」
「そんなにたいしたものじゃないよ。
本当はもっと上等な珈琲(もの)を出してあげたいんだけれど…。
我慢してもらえる? ゴメンね」
彼女にカップを手渡すと、僕も腰をおろした。
ついこの間、来客用のカップを誤ってそれは派手に割ってしまったところだった。
奇跡的にひとつだけその難を逃れたことを、今僕は神に感謝していた。
カチャカチャと静かにスプーンが動く音だけが響く。
「ありがとう。とっても美味しい」
「本当? できるならとびきり美味しいエスプレッソといきたかったんだけど――
ま、いいか」
彼女が笑ったのに続けて僕もまた笑った。
クスクスと椅子を揺らしながら笑っていた少女は
どうやら描きかけのキャンバスに気がついたらしく、暫くじっと眺めていた。
少しの間をおいて、僕は思い切って口を開いた。
さっきから言おうか言うまいかずっと迷っていたところだった。
「お願いがあるんだ」
僕の声の調子が先ほどまでとは違っていることに気づいた彼女は
ゆっくりとその瞳をキャンバスからこちらへと移した。
「君を描かせてもらえないだろうか ? 。君の絵を僕に――」
彼女が何か口にするのが怖くて、僕はすぐに言葉を続ける。
「君を初めてみたときから、君が僕の部屋に現れた時から――
そう思わずにはいられなかった。何故だかは自分でも理解らない。
けれど、自分の手で描いてみたいと思った、凄く。
びっくりしたよ。
随分長い間、そんな感情や思いなんて忘れてしまっていたからね…」
「…。
そうね。この描きかけのまま放りっぱなしになってる絵を見れば…
それはとてもよく解るわ。キャンバスにそうかいてあるもの」
「そう―― やっぱり君もそう感じるか…」
「君“も”? 誰かに言われたことあるの?」
僕は観念した気分になって、初対面の者にどうしてこんなことをいってるんだろう、
という話をはじめた。
「うん。仲間の何人にも言われた。
それも―僕がその批評眼に全面の信頼っていうかな、それをおいてる連中。
否定しなかったのか、って?
否定もなにも、自分でもモヤモヤとした得体のしれない妙な思いを感じてたんだ。
最初は悩んだ…その妙なモヤモヤの原因は見当もつかないし。
連中の言葉もピンとこない。
実際なんでそんなこと言われるのか全然解らなかったしね」
「みんなはどんなこと言ったの?」
「君もイジワルだな。僕に関して知らないことはないんじゃなかったの?」