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Blue Night - 月がおちてきそうな夜に -

SCENE 10

「すいませんっ!! まだ入館できますかっ!?」

はぁはぁと肩で息をしながら僕は叫んでいた。
受付の女の子はその気迫に気圧されてしまったのかもしれない。

「ア…あの、も…もうすぐ閉館なんですが…、あの、その、
それまでの少しの間でもよ、よろしければ…、ど、どうぞ…」
とまるで怯えたような声で言った。悪いことをしてしまった。
脅かすつもりなんてなかった。けれど、今は一秒でも惜しい。
僕はお金を払うと、おつりです、と叫ぶ先の女の子に背を向け、
学芸員の静止するよう叫ぶ声にも耳を貸さず走り始めた。



僕の故郷のこの小さな町にある、小さな小さな常設の郷土美術館――。
あの絵は、きっと、きっとまだ、あの場所に飾ってあるはずだ。
僕はあの頃まだ小さくて、だけど毎日のようにここへ通っていた――あの絵に逢う為に。
そう、あの絵が大好きで、眺めているだけでしあわせになることすらできた。

そう、あの絵は一番奥のコーナーの…もうすぐだ、あの角を左に曲がれば……。



――その古びた絵は、昔と同じ場所に、あの頃と同じように今も佇んでいた。
僕はいまや全てを思い出し、全てを了解していた。



この絵は、この町ではちょっと有名な日曜画家の作品ということらしかった。
モデルは彼が愛してやまなかった幼い一人娘と、当時聞いた記憶がある。
その絵の中に生きる彼女は、全てを祝福し全てから祝福されているように
あの頃の僕には感じられたんだ。
描き手のあふれるような想いが何時だって伝わってきた。
まるで天使だった。
幼い僕はその少女に恋していた。
僕は飽きもせず彼女にあいにいった。
学校が休みの日はもちろん、時にはサボって開館から閉館まで一日中入り浸ってもいた。

そして僕は――いつか自分でも絵を描きはじめたんだった。
あの少女を忘れたくなくって、あの時の感激が忘れられなくって。
いつの日か、そんな絵を描いてみたくって――。
全ては、あの幼い日にはじまっていた。
『わたしのダイアナ』 と名づけられた一枚の肖像画から。



どれぐらい経っていたのか…僕はもう腕にはめた時計のことなんか忘れていた。

やがて僕は、ガクンと落ちた両膝を床につけたその姿勢のまま、
言葉もなく、ずっと立ちつくしていた。

いつのまにか、古ぼけた窓からは夕陽がさしこんで
辺りいったいをオレンジ色に染めはじめている。


そして――――
長くのびた僕の影が小刻みに震えはじめた。

Fine