900912

THINKING OF YOU

結局、 オランジェリを出たのが午後3時近くになってしまった。 そこからは近いとはいえ急いで向かう。

わぁ!たくさんの入場待ちする人、ひと、ヒト。 荷物チエックもあるのだけれど、 勿論?我々ごときはノーチェックに近い。 ここは何処かと聞かれたら  (って、誰が聞くんだ?) __

オルセー美術館だと答えましょう。

Musee D' Orsay__オルセー美術館

駅舎を改造して作られたという、わりに新しめの美術館。 いってみればイレモノ (ハード) 自体が1つの作品といっていいのかもしれない。 中に入るとその高さを生かした構造におもわず声がもれる。かっこいいです。 でも個人的にはオランジェリのこじんまりとした隠れ家的なムードの方が好きかもしれない、 …ってどっちなんだよ、じぶん。 ルーブルは論外としても、結構ココも広そうだ。 閉館は午後6時。ふと脳裏を一抹の不安がよぎる。

…とにかく。作戦を立てよう。 絵画を中心に、入口でもらったリーフレットにあるアルファベット順に ブロックを下から上へと (1階から3階まで) 見てゆこう。 結果から言うと、予想通り?最後、閉館間際は 本当に駆け足になってしまい非常にもったいないことをした。 ゆっくりと時間をかけて見てみたい美術館だったですからね、ココは。 って、もとはネボスケの自分たちが悪いのだが…。

文科系美術館なのかなあ

とにかく広い!!。

部屋が幾つにも枝分かれしていて、うかうかすると入り逃してしまいそうになる。 でもなんとか全ての絵画をフォローできた (と思う)。 ここの前身が確か印象派美術館だったらしいから当然なのだろうけど、 印象派が充実している。

でも、オランジェリと同じく良い絵を見せてもらえたなぁ、 としみじみ喜びを感じさせてくれるところではあった。 所謂、義務感であるとか、 パリに来たからには (美術なんて本当は興味も無いけど) 押さえておきましょうであるとか、 有名な美術館だからとか ……そういう邪心?は一切無かった。

ひたすら絵を見て何か emotional な働きかけを受けてしまうだけだった。 好きだから、今こうして自分はここにいて、喜びかつ幸福な時間を過ごしているのだ__ そういう、ごくごく当たり前すぎるくらいの 基本的かつ単純な思いにかられてしまうだけだった。 私は、それが何より貴重で贅沢なことだと知っている。

正直、大英博物館やルーブルではここまでの innocence には至らなかったしね…。 まぁ、あそこはスポーツするところだから仕方ないんですけどね。 絵を見てこんな innocent な気分になれたのって、いったい何年ぶりなのだろうか。 そう思うとイタいものはあった。

展示室を支配する何かを知ることはできるのだろうか

ルノアールがここにもかなりまとめてある。 幼い頃好きで長じるにしたがいなんだか抵抗を感じるようなった彼の作品だけど、 この頃またやはり良いと思うようになっていた (→年寄り化か?)。 ま、ちょうどそういうタイミングで見られたのでよけいに良く見えたのかもしれない。

ゴッホの部屋は人を刺す空気が流れている。 この部屋だけが人が大勢いるにも関わらず、温度が違うのだ。 はっきりいってさすが人気者。むちゃいますぜ。 何か、彼の絵はやはり哀しい。 何でこんなに哀しい絵を描くのだろう、とか思わず考えさせられてしまう。

一番強烈だったのは少し傾きかげんの自室をえがいたものだった。 釘づけになってしまう。 決して色調は暗くない。 が、見ているとかなしすぎる。見てる側の感情のコントロールが一瞬不可になりそうだ。 あんな哀しくも切ない絵を生まれて初めて見た気がする (しかし、私は物忘れが異様に激しい)。 そう思うに至った理由は全くわからない…というより、ナイ。

ムッシュ・アナダはパリがお好き?

昔に上野の美術館で、 知人と“花田さんにソックリ〜”とウケまくりだったものと同じ絵を見つけ驚く。 というか同じモチーフのものか?。 一人でウケていたら (危ないヤツ)、 この絵の作者はユトリロの父親ともくされている有名な画家だ、と教えられた。 それにも驚く。 タイトルは、“貧しき漁夫”_通称?花田さん、である(いいのか、んなこと云って)。

“花田さん”というのはミュージシャンの花田裕之氏のことです。 ルースターズという日本一クールでかっちょいいバンドのメンバーでした。 最初はギタリストだったんですが、いろいろありまして、 途中からはボーカルも兼ねたリーダーとして活躍。 結局 '88のバンド解散を現場で見とどけた唯一人のオリジナルメンバーになりました。 現在はソロで活動中。皆さん、聴きましょう。 思えば昔は、サンづけだったなぁ…

デジャビュの彼方

“オリエンタリズムの部屋”というのがある。 が、入ってみると予想通り?中近東あたりをモチーフにしていた (昔世界史で、欧州からみてオリエントというのは 東洋ではなくあそこらへんだと習ったもんです)。

が、入ってすぐのところにかけられているベドウィン達を描いた作品を見た瞬間、 いきなりその世界に懐かしさを感じているじぶんに驚く。 その絵自体が懐かしいのではない (もとより初めて見た)、 描かれている世界が、である。 なんだったんだろう、アレは…??
“ しっている ”
といきなり何の根拠もなく (←得意技) 思った私の前世は 果たしてアラビア人?(嘘つけっ!)。

しかしながら、
温度であるとか周りに響く音であるとか砂の感触であるとか、 一瞬にして私へと押しよせてきたのだョ、これはほんと。

閉館間際に辿りついた最後の部屋にて待っていてくれた (まあ、そう思うのは勝手ということで…)、 アンリ・ルソーの絵。 昔から好きだっただけに (ここでついに出会えたことが) 驚きであり嬉しくもあった。 密林の奥(なか)で男が横笛を吹いてる、あの有名な絵です。

……もう、閉館だ。

パリの人はいいよなぁ

今まで美術の教科書やテレビでしか見たことがなかった作品の数々を 生で見ている自分、というのが幾分妙な気分だった。 ミレーの落穂ひろい、晩鐘。マネの笛吹き童子(タイトル知らん)、草上の食事。 ドガの踊り子、(林真理子氏が好きだという)若い婦人の肖像。 ルノアールのムーラン・ド・ギャレ。 ゴッホのひまわり(いったい幾つあるんだ?しかし)、自画像、教会の絵(大好き)。 ゴーギャンの島の娘…等々。

そして、これが常設館であるということ。 少なくともパリに住んでいれば (もしくは来さえすれば) 何時でもココへ来られるのだ。 半面有名ゆえに、どっかへ長期レンタル?で見られない確率も高くなるわけだけどね。 でも、まあさすがに懐の深さを感じざるを得ない。

まぁ。視点を変えれば、この美術館所蔵作品を“名画”と意味づけする行動がまずあり それを繰り返すことで、 自然と誰もそれを疑問に思わなくなっていった、という捻た見方もありか? “名画”が集まっている、というか、集まっている作品を“名画”と意味づけた。 有能なプロデューサーを持たなかったがゆえに、“名画”の称号を得られなかっただけで 本当は“名画”である作品が ひっそりとでも多く集められた美術館もまたあるんじゃないか、って。

これは、冗談です。念のため。 私自身、ここに収められた作品が、素晴らしいもの揃いと思っています。 誰がなんといおうと、私がその作品を素敵だ、と思うからそれでいいのだと思ってます (じゃなきゃ、その後も日本で開催されたオルセー展にわざわざ足を運びませんって)。

__有名な絵かどうか知らぬが。 昔、高野文子氏が“劇団・青い鳥”のチラシだかに描いていたイラストに 影響をあたえたのではないかと思われるような感じのものもありました。

わたしが一番好きだったのは。 3人の男性が床を削ってる??作業をしてるところに明るい陽射しが差し込んでる、 というものでした (作者とタイトルぐらい覚えておけよ>じぶん)。

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チケット FF 27 Musee D' Orsay

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