900912

美術館で会ったひとだろ

予定としては。 午前中にオランジェリ美術館鑑賞を済ませた後 どこぞで Menu (定食) をとり、オルセー美術館へ向かう。完璧! __の、はずだった。

………。いきなり二人して朝寝坊。 あれだけ毎日遅くまで歩き回っているのだから疲労のほうも並大抵ではなくて、つい… というのはこの場合単なる言い訳でしかなかろうが。

オランジェリに着くと、すでに12:00 をまわっている。 一応、M Maubert Mutualite → Concorde と メトロを (歩かず) 使用する努力はしたのだが…。 チュイルリーまで行きここでひとまず時間を潰す。

チュイルリーの噴水に腰かけてしばらく過ごす。 私はここへ来ると、なぜか松田聖子のあるナンバーをいつも口ずさんでしまう。 理由はだいたい自分でも察しはつく。そういうやつなのだ。 この日は加えて何故か大昔に流行った歌謡曲の話題で盛り上がる。 よく覚えていたものだ、と感心するくらいに色々なフレーズが互いに口をつく。 パリの町で唄う山本リンダは結構凄いものがある。 『きりきり舞い』 なんか唄っている場合じゃない気もするが。 その後、オランジェリへと向かうことになった。

オランジェリという言葉をみると、ついオレンジを思い浮かべるわたしはかなりメデタイ

Musee de l' Orangerie__オランジェリ美術館

ルーブルの後に訪れると、とてもこじんまりとして静かな印象を受ける。 が、それが好印象につながるような処でもある。 階上に何室か展示室があり、何か淡々とした感じで飾られている。

ルノアールを久々にまとめて観た。 やはり良いよなぁ、と思ったりする。一時は大嫌いだったのだ。 ピカソは個人的にはキュービズム以前がよいなぁ、と思う。 モディリアニ、ユトリロ等も飾られている。 このときは、マリーローランサンが何点かあるのが意外といえば意外であった。 私は彼女の絵がはっきりいって、好きではないからかもしれない。 上をひととおり観た後、地下へと降りることにする。

世界はひとつの装置であるか

(私以外の)世間ではあまりに有名なオランジェリ蔵のモネの 『睡蓮』 。 構造としては、二部屋に分けられており、 間をつなぐように壁の端に出入り口が設けられている。

ふんふん、という軽いノリで最初の部屋に入る。

驚く。

四面を丸く囲むように四枚の連作が配置されていた。 多分、部屋自体が円環状につくられているのだと思われる。 部屋の中心部にやはり円形のソファが置かれている。 その前に身を置く。

何なんだろう?!これは?!_______

何か理由の判らぬ“思い”のようなものに圧倒されてしまうのだ。 なんか息苦しい。部屋にはこの四枚の連作があるのみで広々としているにもかかわらず。 身体には鳥肌がたち、感情の抑制が効かなくなってしまいそうになる。 物凄い “気” (としか表現できんもの) を感じてしまうのだ。

それは“念”のようなものだ。 しかし、Monet の“念”?といっても彼に対して何も知らない私にはよくわからん。 でもなんというのか、 彼の混沌(カオス)が肌を通じてビシビシ (いうな ! by 松本人志) と伝わってくる。

痛々しいものがあった。
“まだだ…これではまだ駄目だ…”
という叫びが聞こえてくる (んだから仕方ない…)。 今まで、モネの 『睡蓮』 について は、知らないなりに 穏やかな印象を抱いていただけに、こっち自身のショックが大きい。 とにかく。現実感を失くさせるような構造になっている。

が、あにはからんや、次の部屋に進むと印象がガラリとそれこそ音をたてて変わる。 とても明るい雰囲気に包まれる。 何故かホッとする。 絵の色調も冥界じみた蒼黒さから柔らかなピンクへと変わる。 但し、一点だけまだ濃い蒼色調のものもある。 その絵の中央にはまるで女性のような精霊のようなものが佇んでいるみたいだったっけ。

先の部屋が、何か混乱した息苦しさを感じるのに比べ、 こちらは何か解放された後の穏やかさを感じる、すっごい純粋な。 まるでモネの意識の流れに沿っているかのようだ。 モネという人の精神の変化のさま___ カオスが浄化されてやがて昇華に至るまでが何か伝わってくるのがスゲ〜ゎ。 一種トリップ感に近いのではなかろうか?

しかし。 いかにして彼のカオスがこのようにピュアな安定へ至ったかを思うと胸を打つもんがある。 何かこの場を去り難く、いつまでもこの空間に留まっていたい気になる。

(ただ、作品としてのインパクト、こっちをわしづかみして放さないようなパワーは 混沌部屋の方がずっと強い)

もちろん、当然のこととして。 どの絵も距離、角度を違えばまた全然見え方は異なってくるものだ。まるで万華鏡のよう。 同じモチーフの連作であるのにもかかわらず全く飽きない。 しばらく ぼぅ とする。思えば贅沢なひとときですね、しかし。

この感動のようなものは絶対この場にいないと得られない類のものだから。 どれだけの言葉を費やしても幾葉の写真に収めようと 全くなにもその破片のひとつさえ移しかえることが出来ない気がする。 この睡蓮群の中に身を置くことでしか得られないものだ。

それほど凄い(言い換えると、この駄文の意味など全く無い)。

のちに思い返し何故かが解った。 “なぜ、その場にいることを要求される”のか?__

このときはまだ解らなくてただもどかしかったんですが。 ……この部屋が (というかその構造)― “装置”の役目を果たしていたからだ。

けれど装置は装置でしかない。それを超えてゆくもの

モネについては全くといっていいほど何も知らなかった。 というより正しくは興味がなかった。 所謂“印象派”と呼ばれるジャンルが長い間嫌いだったこともある。 極端なこというと、モネもマネも時に曖昧になるほどの門外漢といえた。 そんな人間がどうしてこの場に興味を抱いたのか?

確かに近年、印象派ってもしかしたらいいのかもしれない、 という漠然としたものはあったとしても (とはいっても、別にモネはどうでもよかったのが本音)、 理由はほかにあった。

知ってる人に、パリに行くなら是非寄りなさい、と言われたからにすぎない。 何故?という私にその人は、ひと言いった。
「行けばわかる。説明するよりそのほうがはやい」
正直言ってその答えに、そのときは余計に???となっただけだった。

私はモネには興味はないが (絵をみることは好きだから、パリでは美術館巡りを計画し、 一応定番としてオランジェリも深い考えなく目的には加えていたので)、 そこにはもとより行くつもりだから、じゃぜひ見てくるよ、となっただけだった。 なんか面白いもんでも見られるんだろう、くらいの気持ちだったのだ、正直いうと。

そんな、後ろから首を絞めたくなるようなヤツが、あんな風に地下で思ったこと。 これがもしかして一番凄いのかもしれない。 そう、この日モネのファーストネームがクロードだと初めて知って感心したくらいのヤツがです。 ←こういうヤツを俗にバチアタリな奴といいます、はい。

ただ。 二つ目の部屋の後、先の部屋に戻った時。 初めと空気が変わっていた。 あの重い“気”が失せていたのだ。 驚く。 どして??

petty cashbook
メトロ カルネ使用 Maubert Mutualite → Concorde
チケット FF 23 Musee de l' Orangerie
ポストカード FF 3.5 オランジェリ内チケット売場横

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