900830

君よ知るや西の国

あたり一面に明るい緑が何処までも続いている。その緑は穏やかで果てるところを知らない。 その隙間からポツリまたポツリと建物がその姿をのぞかせている。 四角いフォルムは何だかひどく可愛らしい。 屋根が目に入る。 ああ、あれは窓だ。今日は良い陽気らしいとひとりごちる。 そんなささいな空模様ひとつにさえ弾んでしまう自分が可笑しい (当然リアルタイムではそんなことさえ気づいてない理由だが)。 何より衝撃だったのは、地上から見上げる飛行機の機体はとんでもなく遥か空の上を 飛んでいるように見え豆つぶと化しているのにもかかわらず、 空の上からはあまりに地上がはっきりくっきりとリアリティをもって見えるという事実だった。 まるでそこそこ高層のビルの屋上から見下ろしているかのような、 手を伸ばせはそこにあるかの如き近さでイングランドののどかな田園風景がそこにはあった。 すぐそこなのに実ははるかに遠い、かすんでしまうほど遠いはずなのに窓まで見える__。 そんな己を置き去りにして高度はどんどん下がってゆく。

__ってな悠長なこと言っていられたのももうおしまいだ。 目は左手の腕時計に一瞬ではあるけれどしっかりとしたチェックを入れる。 よく解らないが空の上にいる時が一番安全だと云われている飛行機、 いよいよ着陸が近づいてきているのだ。 思えば我々二人して出発が近づいてきた頃から妙な出来事が続いたよなぁ……、 それもそれぞれが別のシチュエーションでという…… (何かが起こった後、“今にして思うとあれは……”と後付けしやすい類のエピソード系だ) とか、わざわざこのひと時に好きこのんで悪趣味(この上ない)こと 思い巡らし話題にしている自分たち。 たぶんいや絶対近くの席にいた人たちは嫌だったに違いない……。

どっすん。するするする__ その定評あるテクニックの噂どおり (ここのパイロットは空軍出身?という話を聞いていたのだ) スムーズなランディングで無事KE907便は ゆっくりと滑走路上を進んでゆく。

1990年8月30日。ほぼ午後6時30分。日本は明けて夜中の2時30分頃か。 ここはもうイギリスだ。

所謂一期一会問題(そんなものはない)

空港の中を歩き始めた自分の頭の中は、みょうちくりんなものだった。 生まれて初めて異国に来た!というおのぼりさんの興奮と 不思議な程12時間前までの自分と地続きな冷静さが違和感なく同居していたらしい。 それでも自分の中では“外国に来たぜ!”というハイテンションが勝っている自覚はあり、 それははたから見ても丸わかり状態だとも思ってもいた。 我ながらそんな己がちょいダサとすら感じていささかてへへ…といった気分だったので、 友が口にした言葉は正直意外であり驚きですらあった。 初海外とは思えないくらい冷静で自然なリアクション(すぎで、ちょい面白みにかける?) ってことらしい。 彼女の初海外時はかなりテンションあがったので、こいつはどうなるんだろう(ワクワク)、 と内心私の様子をずっと伺っていたらしい。 それがこのようなオチとなりちょっと残念というか気抜けしたらしかった。 どうしてそんな自然体なんだよ、って。 しかし実際の自分は“わーいわーい初めて外国着たよ〜”であった理由である。 誤解を解くべく事実を告げるが、いまひとつ“本当?そんな風に見えない”って言われる始末。 つくづくこの鬼のポーカーフェイスぶりにてめぇのことながら、感心してしまう。

実は、真偽の程は定かではないが。 当時、初海外時の浮き浮き盛り上がりハイテンション度と その人の若さ(その時期だけが持ちうる感受性度)は比例するというような説が巷間で囁かれていた (己らの周辺だけだったのかもしれないが)。 初なので、たった一度の判定チャンス?そこらのリトマス試験紙どころの緊張度ではないという。 そこでの平静度は感受性鈍くなった証左、故に初海外は若いうちに…とか言う話もあった気がする。 なので結構到着時の自分がどうなるか、内心ドキドキしていたよう思われます。 自分では冷静ではなかったと思いたかったのは、きっとそこらの事情もあったのか?。 全くもってそんな無駄なことでエネルギー使ってるヒマあったら他に有効利用しろ…という。 自分はもう若くないのかもしれないという幾ばくかのほろ苦さを 思い知らす自分のあまりの馬鹿さ若さっぷりに笑うしかない…ってオチ。

イギリスの空港といえばヒースローしか知らない自分だったが (知っているといっても当然体験ではなく、名前として知っているだけ)、 今自分が歩いているのはガトウィック空港。 しかしガトウィックがイギリスの何処らへんなのか全く把握できていない、 いや言ってしまうとヒースローだって何処なのだか全然知らないのは同様だった。 広々とした通路脇の壁面はすべてガラス張り。 今しがたまで自分が乗っていた機体がそのガラスの向こうに見えている。 そのすぐ近くには Virgin Atlantic 機がその肢体を横たえている。 赤く染め抜かれた中に白抜きの Virgin ロゴの尾翼に夕焼けが照り返し、 金色に光っている。その金色にしばし見入る。

あぁ。とうとうロンドンにやってきたんだ。

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