900915

りすぼん短抄

ヨーロッパ行きを計画し始めてから、何かこの國に惹かれるものを感じてきた。 訪れてみたいと強く思っていた。 不思議なことに友も同じことを思っていた、という。 そうなれば、何の問題もない。 二人は互いに理由の解らぬ、 しかし、譲れない思いに駆られてここへやってきたのだった。 しかし、いま思う。 そう、この町を歩きながらも思わずにいられない。

いったい、ぜんたい、 どうしてああもリスボンへ来たい(など?)と想ったりしたんだろう??

私はいったい何に魅力を感じたのだろう?、誰か教えて欲しい。 彼女は彼女で、一所懸命理由を探している。 何の?__勿論、自分をリスボンに来させたことに対する納得できる理由をだ。

つまり。そういう町ではあるのだ。 確かに__、 時代から取り残されたようなひなびた町。 活気が無い。 老人ばかりを見かける。 加えて、物乞いをよく見かける。

坂の多い石畳 (といっても、彼の地では何処もそうなんですが) の町は 魅力的であるし、 高所から望むリスボンの町並みは 異国情緒をかきたてるに十二分の、何処か郷愁を誘うものでもある。 それは、お気楽なツーリスト達を幾分メランコリックにさせてもくれる。

ただ、それは裏返しなだけだ。

見上げずにはいられない空は、 ここはもう一つのヨーロッパであると教えてくれる。 何処か南欧の香を放ちながら、埃っぽさと抜けるような青空と、 もはや時を刻むことを止めた静寂の町 りすぼん。 果たして本当にこのとき、1990年だったのであろうか (→マジでかなり疑っている)。

西の涯ての町が刻む時の跡を

りすぼん___ここは、平家物語の無常観を感じさせる町 (ホントかよ)。 この國がかつて世界の歴史に輝かしい (ポルトガルが輝くために必要とされた各々の国から見ると、 それは“輝く”でも何でもないと思いますが) 1ページを遺した國などと、誰が信ぜられよう。 どうして、ここまでその余韻を消してしまうことが可能なのだろう。 彼等は、かつて先祖達が成し遂げたことの数々を 何処か遠い國の栄華物語とでも思っているかのようだ。 それほど諦観の境地に達した者の眼をしている。

もうこの町が海底深く沈んで行くことをよしとして、 自らも心中するつもりなのだろうか。 一度世界の桧舞台に立ちピークを越えた国(もの)は 全て緩慢な死を受け容れるしかないのだろうか。 それが摂理とでもいうのだろうか。そんな念いを引き起こさずにはいられない。

わたしは、まだバブルの香り残る日本の、この世の春を謳歌しているとされる “そして、我が祖国、ニッポン”の彼方、 未来に思いを馳せずにいられなかった、このとき。

この町は、止まってしまった時計の 錆びついた螺子を巻こうとする野心はもう無いらしい。 もちろん、その野心 (ネジまき) が 果たして望むべくものであるのか否かは判らないし、別である。

実に不思議な町だ。人々は日本人が珍しいらしく (確かに殆どいない。ここまで来る日本人は少なかったのだろうか)、 好奇心旺盛というより剥き出しの視線を向けてくる。 そして、声をかけてくる男たちもいるが、悪意はないようでホッとする。

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