901003

make love , not walls - 1990.10.03 -

花火の音か、あれは。
友人の声もする。

目が醒めた。
時間は ?。日付が変ったばかりぐらいか。 もの凄い花火の音。遠くからであるにも関わらず輪郭がくっきりしている。 もちろん、これが何を意味するかは即座に理解った。

悔しい。
深夜零時が 10/3 であることにどうしてもっと早く気づかなかったのか。 やはり、無理してでも昨夜 “壁”まで行けばよかった __例え、疲労でもう体力の限界を超えていたにしても…。 繰言めいた思いがこみあげる。

“これから 出かけようか ?” という話になる。 友人が下へおりて外の様子を見にゆく。 その間に、あれだけ派手だった音はやんでしまった。 理由は理解らない。 何か、あまりに間の抜けたオチに呆けてしまい、 そのとりかえしのつかなさに気がつかないフリしてしまいたくもあった。

再び、ベッドにもぐりこむ。 どうでもいいが、この辺りは通りを含めてあまりに静かだ。 窓から外をみやっても、どの家にも人の気配はあるにも関わらず 違和感を感じるくらい しん、としている。

一夜明けて

夜が明ける。ベルリン郊外のここは とにかく 静かだ。

94番のバスで ZOO 駅まで行く。 駅からブランデンブルグ門までは、かなり歩くことになった。 その間かなりのどかな風景も多く、この方向で本当によいのか不安を感じることさえあった。 ベルリン・フィル関係のホールらしき前も通りかかったのではないか。 どうやらなぜか 6月17日通りではない脇道にまわりこんで歩いていたようだった。

ブランデンブルグ門の近くまで来る頃には、もう9時近くになっていた。

なんなんだろう、というくらいによい天気だ。快晴といっていい。 さわやかな青空がそこにはある。

ひとまず壁らしきものの処まで行く。予想していた通り、もう殆ど存在しない。 ひたすら広々としている。もちろん、喜ばしいことに違いはない。

目の前を一筋の川が塞ぐよう流れている。その向うにはまだ壁が残っているようだった。 正面にみえる壁に、ハングル文字で書かれた大きな落書きがみえる。 改めて、もう一つの現実(こと)を思い出させる。 __ああ、そうだった。 川向こうのそれはもちろん何と書いてあるのか理解らないが。ひときわ目立つ処にあった。

“渡る”ということ

川の手前には、幾つかの十字架が立ちならぶ。美しい色の花々がまわりには植えられている。 何人かの人達がそれを囲むように集っている。

何のことか初めよくわからなかった、といえば嘘になる。 予感を伴いつつ近づいてみる。それが何かは理解っていた。 が、それと やはりドキリとなるのはまた別だ。 十字架のひとつひとつには、ドイツ人らしき名前と一つの年月日が記されている。 それは、たぶん、何かを試み同時に失敗した日なんだろう。 過去と呼ぶにはあまりに生々しい数字もあったと思う。耐えがたい。

それこそ、あと少し、あとほんの僅かだけ待てば、 危険を冒さずしてブランデンブルグをくぐることが出来たに違いない者もあっただろう。 そう、堂々と大手を振りながら。 けれど。その日が、刻印されたその日が、もうタイムリミットだったに違いないのだ。 その私が顔さえ知らぬ誰かにとっては。もうそこが限界だったのかもしれぬ。

十字架のまえで

同じ国、民族が引裂かれてしまう、ということ。 それが、第三者によってなされる、ということ。 そして、分断の象徴たる “壁” が存在していた、ということ。 数え切れぬ者たちが、いちかばちかの賭けにでてその壁を越えよう、と試みたこと。 その結果、同国人の兵士に殺されうる、ということ。 冗談ではなく射殺される可能性がある、ということ。

__そんな “現実”の幾つかの破片が 日本にいる時からは想像もできないリアリティでもって迫ってくる。 逃げようとしても、すぐに追いつかれてしまうぐらいに。

殺される、のだ。

現代の “日本人”にとって、実感としてうけとめるにはなんとハードなことなのか。 加えて、その “現実”という名のハードネスを “普遍的”なものとして捉える視点を持ち合わせているのだろうか。 私なんて鈍感極まりないといえた。

頭の悪さを一種露呈するならば。 私はどこかで SOCIALISM を信じているのだろう。 だから、それゆえによくないのだとは言えぬ。 もちろん、SOCIALISM と CAPITALISM をシンプルな二元論で白黒つけて 安心していられたのはとうの昔のことで。 今はそんなこと不可能かつ不毛な試みであると識(し)る知性ぐらいは身にもつけた。 まぁ、破片くらいですけどね。というか、実際両主義についての認識は素人レベルだし。

ただ。現存する “社会主義”国が果たして “社会主義国家”なのか、 無知な私はイコールで結べない思いも抱きつづけている。 馬鹿な物言いをするなら、標榜することと完遂実現することは別であろう (正直、現在もその思いを抱きつづけている部分はあります)。

“明らかな”東独の失敗はいったい何だったのだろう。 日本で生きてきた私にとって答えなど出せるのか。 十字架に刻まれた数字のなかで、一番最近のものは何時だったのだろうか。

センチメントは生きてゆく現場で邪魔なのかもしれない

川向こうへ渡ると、人が少し集まっている。 何人もの人が壁をハンマーとノミで叩いている。 それを貸し出すオッサンの存在がよってビジネスとして成立する。 ちなみに、20分間 5DM 。 果たして高いのか安いのか。 また削りとった pieces を並べて商売している者もいる。 __そのどれもが テレビの画面等でおなじみになった風景であるともいえた。 もちろん、稼ぎ時のピークは過ぎてしまった、ともいえるが。 まぁ、今日はそれなりに見込めるかもしれない。

そこらに歪な形の金属棒が落ちている。元々壁の中に芯として埋め込まれていたものだ。 試みにそれで壁を叩いてみる。粉がぱらぱらと散り落つるのみ。 なるほど、腐るほどころがっているわりに、誰も見向きもしないわけだ。

やはり、自分たちの手で拾いたいので削るのは諦めた。落ちている破片をひろう。 よく見ると、もちろん小さいものばかりではあるといえ、結構落ちているものだ。 赤、青、黄色…カラフルとさえいってよかった。

結局。ただのミーハーな奴でしかないのだ、私など。

第一、XTC. なんて落書きの前に立ち写真を撮った自分は お調子者のミーハーでなければなんなのだ、といっていい。苦々しいくらいに。

壁に沿って歩く。

黄色く make love, not walls とペイントされていたりする。

さすがに日本語はない。 よって、相合傘の落書も、夜露死苦とかいうジャンルのもありえない。

petty cashbook
バス 2.7 DM #94 宿近くから ZOO 駅

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