900923

WE ARE ALL ALONE

アントニオ・ガウディの代名詞になっているような建造物といっていいのだろう。

現在も建設途中だ。完成は少なくとも200年後とも言われている。 同時に“そんな”短期間では無理ともいわれているが。 実は聖家族教会、という特定宗派のための教会なのだという。

そう。Sagrada Familia(サグラダファミリア)のことだ。

この地を訪問する前に仕入れた知識によると__ 氏は人生の最期に近づいた頃より非常に敬虔なクリスチャンとなり、 その篤い信仰心から理想の教会の設計に着手したんだそうだ 全ては、その神への崇高な思いから出でた無償の心のなせる技であった、という話であった__。

私はそれを聞いて、
“ふぅん……純粋な、思ったよりマトモな人なのね…”
(重ね重ね申し訳ありません)とか思っていた。 そしてこの建造物に対してもそうなのかと思ってた。

ココへ来るまでは…………

予想していたよりも全然デカい。 恐怖感を与えるくらいにデカい。 どうしてこんなに巨大なのか、と思うほどにそれはデカい。 カメラのファインダーごしに覗いてみる。全くフレームにおさまらないではないか。

さすがに、というか日本人の姿が目立つ。 敷地内は現在進行形の 工事現場を納得させる様相であった。 発掘現場のようでもある。

首を痛くするほど見上げると 天にむかい聳え立つ4本の玉蜀黍がそこにはある。 驚いたことに、出口側?にも 同じ数のモロコシが立っているのだった。 初めて知ったよ、うん。

とはいうものの、うしろの4本は雰囲気が全然違う。 何か貧弱に見えてしまう。どうしてなのだろう?

モロコシのかなり上部まで登ることが可能なので挑戦する。 事前にそのハードさも充分に予想できる高さなのだが、またとないチャンスではないか。 そのアプローチたる螺旋階段は狭く、ひと1人が通れるくらいの幅しかない。 目がまわりそうになりつつ、 息もしだいにぜえぜえしてくる、といった塩梅だ。

とちゅう踊り場?のような少し広いスペースがあり そこでは一息つくことが出来る。

そこから覗く生誕門は結構穏やかな表情を見せる。 丸い形の花弁をモチーフにしたような? レリーフっぽい文様 (教会でよく見かけるアレ) は まるで菊の花を象った お饅頭か最中のように見えたりもする。

また、その踊り場からははるか地上が見下ろせる。 なんか、その (螺旋の中にできた) 筒?の中に すいこまれそうだ。

いちおうの行き止まりまで辿りつくと もう玉蜀黍の先端まではあと少しだ。

身を乗りだしてみると、 その姿は細部までハッキリと確認できる程だ。 よくもまあこんなところまで登ったもんだ。

そのデッドエンドあたりからはテラスでもないのだが、ちょっと景色を一望できるようなスペースもある。 さすがに風が心地よい。 日本人の女の子に“モロコシと私”の記念すべきツーショットのカメラマン役を頼まれる。 はい、チーズ (ああ、死語)、と。 思えばよくカメラマンを頼まれるこの道中ではあるな。 欧米人のツーリストはツーリストなりに日本人は信頼できるらしいし (迷信の類だけどね)、 日本人は日本人でどうやらそうらしい。

⇒ WE ARE ALL ALONE 2

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チケット 300 pts サグラダファミリア

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